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一般社団法人 日本相撲振興会

私たちは相撲道の振興を通じて健全でバランスの取れた社会の生成に寄与します。

下田
  1. 武道徳育教育としての相撲道の教育的普及を行います。
  2. 相撲道に関する倫理的観念の研究を行います。
  3. 技術上の理解と理論上の理解を深めるため、検定を開催します。

〈文化的歴史の流れ〉

大化の改新(645年6月)
政治権力を掌中に納めた蘇我一族の専横が極まり、之を中大兄皇子、中臣鎌足等が改革した国政改革です。国政改革とはいえ宮中に置いて暗殺が遂行されたのには、当時、宮中において武器(剣)の所持が容易であったことがあげられます。改革と称して、この様なことが度々起こったのでは、宮中が血の海と化してしまいます。そこで、宮中においては武器の所持が禁止となります。口論等の極まった場合には、下帯(フンドシ)一丁で庭にて〝組み打ち〟(相撲)で決するということとなりました。 大相撲等を見ると、手の平を返したり、柏手を打ったりするのは〝手の裏に手裏剣等保持しておりません〟という所作です。又、四股を踏むのは〝下帯の中に武器を隠していません〟という所作なのです。以来、今日に至るまでの歴史を育んで来たのです。

長い歴史
志賀清林を祖とし、志賀氏に代々受け継がれてきた故実・伝書などを受け継いだ初代の吉田家次(吉田豊後守 ぶんごのかみ)から始まり、相撲の宗家として代々「追風」の号を名乗ります。元来、京都の二条家に奉公し節会相撲の行事官として務めていましたが、その後、二条家の許しを受け、細川綱利に招聘され熊本藩に仕え、武家奉公をしました。以来、熊本県熊本市に住み、相撲に関する全権は、後鳥羽天皇より委ねられたとされております。